@article{oai:shokei.repo.nii.ac.jp:00000077, author = {千葉, 正樹 and チバ, マサキ and Chiba, Masaki}, journal = {尚絅学院大学紀要, Research reports of Shokei Gakuin College}, month = {Jan}, note = {城下町研究の検討対象は西国に集中しており、東北地方など城下町モデル成立の舞台とならなかった地域は、単にそれを受容しただけだったのかという疑問が残されている。寛永4(1627)~寛永 15(1638)年の政宗が若林城に拠点を置いた時期の仙台は、仙台城と若林城という二つの都市核を持つ、いわば双核都市という特異な形態であった。これは二人の領主が並び立っているかのような、当時の藩権力構造をそのまま反映している。若林城下はその基盤を国分氏の戦国期城下町におき、リユースした都市域であった。できるだけ無理をせずに、使えるものはすべて使うという計画姿勢が顕著である。また、若林城下は仙台藩の水陸交通整備と一体的にプランされており、仙台の水運を担うことを期待していた可能性がある。未完のまま政宗の死去を迎えたが、政宗期の仙台藩は、中央から発信されたモデルに対して、いわばつまみ食い的に、必要と考えた要素に限定して取り入れようという態度であった。, 5, KJ00005301959, 論文, Article}, pages = {55--67}, title = {城下町モデルの選択的受容 : 17世紀仙台における双核都市状況について}, volume = {55}, year = {2008} }